30代婚活、ほんとうに心が荒んでいく。
婚活で出会った人から食事に誘われ、相手がお店を予約してくれ、改めて待ち合わせ場所の確認をしようと前日にLINEを送ったところ当日になっても未読、念のためデート服で出勤していたものの、結局おじゃんになって自宅直帰。そんなのも最近あった私の話。
普通に生活を送っていたら遭遇しないであろう、このような『人としてどうなの』事案にあっても、Twitter婚活民たちの婚活近況報告で見慣れているせいか、“よくある話”と理解して、『あー、ハイハイハイおっけー』と私もTwitterに愚痴を吐いて終わり。
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“とりあえず会う“を繰り返して
私の場合、婚活の活動場所は主に、マッチングアプリ(今はお休み中)と飲み会の場。
マッチングアプリの出会いであれば、写真、プロフィール、メッセージのやり取りでそこまで違和感がなかった人と、とりあえず会ってみる。
飲み会であれば、その席で喋った感じと、その後のLINEでのやり取りでコミュニケーションがスムーズだった人と、とりあえずもう1度会ってみる。
LINE交換後には、表示される相手の名前の横に、出会った日付と場所、特徴、年齢などのメモを入れて管理。
会う前にはもう一度プロフィールや前回話した内容などのメモを確認して、、
…?ナニコレ?営業顧客管理…?
あれ?私は何のためにこの人と会ってご飯を食べてるんだっけ?
人を変え、場所を変え、ほぼ同じことを何度も何度も繰り返しているので、こういった活動そのものがゲシュタルト崩壊していくような、よく分からない状況に陥ってくる。
婚活って何だっけ?
何のために婚活してるんだっけ?
私は何で結婚したいんだっけ?
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婚活の末にする結婚のメリット
私はそもそも、結婚をしたいと本当に思っているのか?
『結婚』とは、
『この人とずっと一緒にいたい』と思う相手がいて、
それを叶える手段の1つではなかったか?
いまのところ、残念ながら私はそういった相手を見つけられていない。
はるか遠い昔には結婚を考えたり口約束をした相手もいたことはあったけれど、若すぎたり、タイミングや私自身の気持ちが追い付いていなかった。(もしかしたらそこで決めておくべきだったのかも。いや違うか)
今は完全に心が荒んでいる。ここ数年は、“好きって何だっけ”状態。
なので、今の活動の末、結婚できたとしても
『この人と一生涯一緒にいるということも”出来るかもしれない”』ぐらいの気持ちでする結婚の未来しか見えない。
それは、果たして私にとって、本当に必要な人生の選択なのだろうか?
『一生涯一緒にいるということも”不可能ではない”』ぐらいの人と夫婦になったとして、私は見返りのない愛情をその相手に与え続けられる自信はない。
そんな距離感にいる他人の下着や靴下を私は不満なく洗い、干し、片付けられるだろうか。
たとえば相手が病気になってしまった時、まず自分の生活やお金のことよりも先に相手の体調を心配出来るだろうか。
自信がない。
長い時間を共に過ごすことによって”情”が生まれ、それがいつか”親愛”に近い感情になることだろうという不確かな希望に縋って毎日を過ごすことになる気がする。
何を期待して結婚したいんだっけ。
なんで婚活してるんだっけ。
もともと私は誰かに依存出来るタイプではない。
趣味もある、友人もいる、仕事もあって、自分がしたい贅沢に必要なくらいのお金は稼いでいる。
私の人生は結婚することによって幸福度が向上するのか。
今の婚活の末に出来た結婚によって、私は何が得られるのだろうか。
世間体?両親を安心させられる?同級生の友人たちと話題が合わせられる?
くだらないことしか思いつかない。(両親のことは別)
つまり今の私は、この婚活の末に結婚できたとしても、己の幸せにはほとんど繋がらない。
やばい。
それでも私が婚活をする理由
婚活をして結婚することを自分自身が望んでいないということについて、薄々勘付いてはいた。
それなのに、私が婚活を続ける理由。
それは、やらないとなんとなく不安だから。
もっと掘り下げていうと、将来の自分の感情に自信が持てないから。
私は現在30代前半。
ネット上では“30を過ぎれば女は終わり”みたいな風潮があるが、私の個人的な肌感覚としては20代後半の頃と特に需要は変わっていない。
しかし、いずれこの需要は無くなっていくのだろうし、
それがいつになるのか分からないけれど、
今まだ需要があるうちに、様々な人と会って婚活をするということで
いつか需要が消えたと感じた時に「やり切った」と思いたいのだと思う。
いろいろ活動して見てきた結果、私は“この人!”という人に出会わなかった。
私は1人の方が性に合っていた。
これが私に最適な生き方だった。
と納得したいのだと。
間違っても、需要が消えた頃にこの期に及んで1人が嫌になり「あのとき婚活していれば」などという後悔はしたくないのだと。。
自分の幸せについて本気出して考えてみた
未婚女性に対する世間の風当たりはまだまだ強い
現代社会において、結婚を選ばずに独身のまま生きる人間はそう珍しくない。
2021年の婚姻件数は戦後最少を更新。総人口に対する独身者率も年々増えており、現在は男性の4人に1人、女性の6人に1人が50歳までに1度も結婚を経験していないという計算になるらしい。
しかし、
独身が数的にも”珍しくない”とはいえ、
時代が変わり、女性の結婚に対して「よその家に嫁ぐ」「お嫁に行く/貰う」という意識も薄れてきているとはいえ、
まだまだ「誰からも”選ばれなかった”」「行き遅れた」「売れ残った」という世間的イメージが強く残っている。ように思う。
実際、私自身も少子化を騒ぐニュースやワイドショーを1人で見るときですら、何となく引け目を感じて肩身が狭くなる。
これは勝手に私が「独身は何となく生きづらい」と思っているだけで、現実世界で独身でいることに対して直接批難されたり言及されることはほとんどない。
が、匿名のネットの世界では、話は別。
婚活中だと公言している女性は、ネットの世界ではどうもサンドバッグ代わりにする格好のターゲットになるらしい。
匿名掲示板の5chにも、Twitterの婚活垢を観察してワイワイする「婚活アカウントとその周辺ヲチ」という板が存在する。
1つのスレッドには1,000件の書き込みが出来るのだが、現在合計200スレッド以上に及ぶ大繁盛ぶり。
これとは別に、私の元へもどこから沸いたか、境遇も何も私とは一切重ならないように見える全くの見ず知らずの人から「脳内花畑」「他人を見下す病気」「こんなのと結婚する相手が可哀想」などという御高説メッセージをよく賜る。
私が思う自分の幸せについて
ネットで、攻撃することを目的として関わってくる人たちに言いたい。
婚活しているというだけでその人間が不幸せだと決めつけるのは、些か短絡的すぎやしませんか。
私はTwitterで愚痴ばっかり吐き出しているから、それが不幸な婚活女と映るのかもしれないことは、私にも原因があるのは否めないけれど。
確かに、Twitterに愚痴を書いているような事案があったタイミングでは「まじ不幸www聞いてwwwツラ……」というテンション。
でも、総合的に考えると私は今、不幸だという自覚は全くない。
寧ろ、現状にほぼ満足してしまっていることが、自分の婚活を難しくさせている一因だとすら思っている。
また、自分がこのまま未婚で一生を終えたとしても不幸だとは決して思わない。
“この人!”という人に出会った人に対しては、とても幸せで素敵なことで羨ましいと思うけれど。
出会わなかった人が、一人で生きていくことが不幸だとは思わない。
不幸なことがあるとすれば、将来「あの時ああしてたら/こうしてれば」と、過去の”やらなかった”自分の選択を悔やむこと。
私は婚活をするために現在、他にやりたいことを我慢して何かを犠牲にしているとかそういうこともないので、多分、私は今後も「やり切った」と自分の気が済むまで婚活をするんだと思う。
「気の済むまで行動」
思い返せば私は幼い頃からずっとそうだった。
結果はどうであれ、気の済むまで行動して、やった結果、こうなった。
そう自分の中で腹落ちする人生に
私は満足感を感じ、幸福だと思えるのだと思う。
でも、
もうそろそろ。
しんどいから早く気が済んでくれないかな!
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